たろうの今日は何して生きていく?

大学生のたろうが今日何して生きていたのかを綴ります。

大学3年生

大学3年生になった


なんとなくはじめたこのブログも結局数回書いただけでchromeのブックマークバーに閉じ込めていた。いつしかその事すらも忘れていた。
このブログの存在を思い出したのは結構最近のことだ。zoomで画面共有をした時に友人に指摘された。
「その『たろう』ってやつ何?」
恥ずかしさを覚えた。
自分で始めたくせに続かなかったから?
恥ずかしいことが書いてあったから?
存在を忘れていたから?

 

歳をとるにつれて他人に自分の本当の思いを伝える機会が少なくなったのもあって、誰かに本当の思いを伝えることが恥ずかしいと思う様になっていたのかもしれない。と気づいた。振り返ればそうした思いを吐き出す場所としてこのブログを作ったのではなかったか。今となっては思い出せないが結構有力なきっかけではある。

過去の記事を読んでみた。過去の自分との対話とでも言うのであろうか。

文体がですます調で、記事中で読者に対して問いかけるようなこともしていた。ああ、あの時の自分はこのブログを誰かに向けて書いていたのだろうか。

 

公開していない下書きがあった。
この下書きの存在は完全に忘れていた。
内容は友情について。未だにですます調を使っている。記事の序盤で一年以上ぶりの更新について触れている。下書きのままで公開しなかったので結局2年近くこのブログを放置していたことになるのだけれど。

 

お久しぶりです。
筆不精なもので一年以上も更新が止まってしまいましたがまぁいいでしょう。どちらかといえば自分のためにやっているようなものなので。

 

これは果たして長く更新をしなかったことに対する言い訳なのだろうか、本当に自分のためにやっていたのだろうか。
後者だろう。
自分のために書き、そのうえでそれを誰かに見てもらいたかったのだろう。
普段伝えることのなかった本当の思いをブログを通して、『誰か』に感じてほしかったのだろう。この際『誰か』は誰でもよかった。
友人でなくても、家族でなくても。むしろそういった人らが見ることを想定していたらブログは書けなかっただろう。まさにこのブログは『自分』と『誰か』のために書いていたのだ。

ブログを書いてから2年が経っている。色々な経験をした。これからは『自分』のため“だけ”に書いてみることにしよう。